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減圧症ログ 5-2 * 最後の治療

2007年10月02日 17:30

最後の診断で、チャンバー内での様子を説明。
先生は言う。

「じゃぁ、約束どおり、○○さんのチャンバー治療は今日で終わりにしますね。もしかしたら、後遺症という形で残るかもしれないけれど、減圧症そのものとしては軽い方だから、何ヶ月か、かかるかもしれないけど、大丈夫じゃないかな

「はい・・・ あと、復帰ダイビングについて聞きたいんですけど」

「あ、このプログラムは別の先生がやってるんですよね。じゃぁ、資料だけお渡しするので、半年後にもしやるようだったら、また予約してください。」

「はい・・・ あと、復帰するにあたって診断書というのは出してもらえるんでしょうか。この先、“減圧症になったことがある”というのは、ちゃんと説明した方がいいんですよね?そして、治ったっていう証明があった方が・・・」


この質問に対して、先生は興味深い回答をしてくれた。
簡単に言うと、「復帰したダイバーは沢山知っているけど、診断書を求められたことも発行したことも、さほど多くはない。つまり、復帰ダイバーの中で、減圧症であることを隠したまま復帰しているケースが多いという実態がある」ということだった。

例えば、姐が(医科歯科大の復帰プログラムを使用することなく)復帰ダイビングをするとしたら、それを相談できるであろうガイドさんは何人かいる。その彼らが、姐が診断書を提出しないとやってくれないか・・・というと、(聞いてはないけど)やってくれると思う。
でも、そういうガイドさんや行きつけのショップがないバディの場合、“潜りたい”と思ったら、普通のブランクダイバーとしてショップに申し込むしかないのだろう。「減圧症罹患者大歓迎!復帰ダイビング大歓迎!」なんてショップ、見たことないもんな~・・・・
そして、いきなり普通のダイビングを始めて、再発してしまうケースも少なくないそうだ。

そして、姐自身も考えるのだけど、姐が無事復帰したとする。伊豆では、いつものショップやバディ達と、いわゆる普通のダイビングができるようになったとする。
そして、今まで行ったことのない海に行き、初めてのショップで申込書を書く時、「減圧症の経験あり」と堂々と書いたら、果たして受け入れてもらえるのだろうか?
・・・・なんてなことは、復帰が出来てから考えればいいのは重々承知だけれど、気になるところではある。



さてさて、そんな話をして、他に聞きたいことはないか、と聞かれ、診察は終了した。そして、今後の注意事項(飛行機はすぐ乗るな、症状が消えて半年してからの復帰を薦める等々)を聞き、終わった。

姐は言った。


「先生、出来れば、復帰したいなって思ってるんです また、半年後にお会いしたいと思います!!」

「復帰できるといいですね

とハニかみながら、あまり饒舌ではないその先生は言ってくれた。
その言葉が勇気をくれる。



帰りに一緒になった減圧バディSさんは、一番最初に一緒になって2度目だった。10回位入っているという。IOPのExitで既に下半身の異常を感じていて、かなり重度の減圧症を患った様子だ。一番最初は歩くのもままならず、チャンバーの中では一人パイプ椅子ではなくソファを用意してもらっていた。
そのSさんが歩けるようになり、電車で一緒に帰ってくる途中、言っていた。全ての体の機能が復活しつつあるのだけど、肛門回りの神経が戻ってきていないと。
人間として、治さなくちゃ・・・そのためには何度でもチャンバーに入る・・・・と。
そして、最後に「でも、もう一度だけでいいから、沖縄で潜りたいんだよね・・・。あの海をもう一度、見たい・・・諦められなくて。」と言っていた。諦めないで頑張って欲しいと思った。
その後のSさんの様子はわからない。




全ての治療が終わった。
これから先、薬を飲むでもなく、リハビリをするでもなく、ただ自然治癒を待つだけの病気「減圧症」



朝、目が覚めて思う。

「今日は痛く・・・・ないな

昼にPCの前で思う。

「ちょっと肘が痛いけど、減圧症の後遺症かな

夜、寝る前に思う。

「別に何もしてないのに、今日は疲れてるな。減圧症のせいかな



“減圧症”という言葉が頭から離れなくなる。
全てが減圧症のせいになり、全てが減圧症とは無関係な気がする。
そんな日々の始まりだった。


「とりあえずチャンバー入って6ヶ月我慢すればいーんでしょ?


そういうものじゃないことを、実感した

治療を終えた頃、姐の頭の中からは“ダイビングに、絶対、絶対、復帰したい!!!”という気持ちは消えていた。ううん、正確にはダイビングを復帰するとかしないとか、そういうことは後回しになっていた。


まずは、この不安な日々から解放されることが何よりも先決だと思った。
最後に治療を終えた日、2007年10月2日。
この日を忘れることは出来ない。
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